状景彫刻

私は内と外から夢を見るー土と苔より

2021

状景彫刻

私は内と外から夢を見るー土と苔より

2021

開催場所
市立シュタッフェルフース ギャラリー(バイルアムライン・ドイツ)
素材

土・苔・植物・石・造花

私はあなた、あなたは私

2021

太古の私を呼び覚ます

竹内孝和さん(以下敬称略)は行く先々でシャボン玉を飛ばし、その表面に映り込む景色を写真に収めている…

私はあなた、あなたは私

竹内の作品を、単なるアンチモダンの土着礼讃と見なしてはいけない。表現の前提がもはやモダンではなく…

  • 太古の私を呼び覚ます

    竹内孝和さん(以下敬称略)は行く先々でシャボン玉を飛ばし、その表面に映り込む景色を写真に収めている。どこか懐かしい日本の田園風景や、木々に囲まれて佇むドイツの教会など。2010年に私が彼に初めて出会ったロンドンでは、ロイヤルアカデミーの中庭でシャボン玉を飛ばすのを手伝い、警備員に注意された思い出がある。それぞれの場所の景色は、シャボン玉の膜に反射して歪められ、ある一刻のイメージとして写真に保存される。シャボン玉の表面で反射する光と、屈折しながら膜の内側に入り込み裏面で反射して戻ってくる光が、鮮やかな色彩を織り成している。「目にするものは絶えず表面で、それらは意味の膜で覆われ実体は見えない」という竹内の言葉を聞くと、中が空洞で、薄い膜で作られたシャボン玉に多重反射する景色が、綺麗な嘘で塗り固められた張りぼてのような社会と重なってくる。ネットとマスコミに溢れる根拠のない情報に一喜一憂して生きていると、なんだか自分の立ち位置が分からなくなる。

    竹内は《古代の私はよく見えた》と題するインスタレーションを発表した2015年頃から、私たちの遠い先祖が狩猟採集社会に見ていた世界を作品のテーマに取り入れている。当時、生きるためには、全身の感覚を研ぎ澄ませて動物や果実を探し当てる必要があった。そして命懸けの狩りにおいては、獲物を「よく見る」ことはもちろん、仲間とのあうんの呼吸や協働が求められたはずだ。 持ち帰った食料は部族内で平等に配分されたので、仲間内での権威争いは少なかったと聞いたことがある。太古の私は今よりずっと純真無垢に世界を見て、言葉に頼らずとも仲間とのコミュニケーション(相互伝達)ができていたのだろう。そうやって太古の私を美化してしまう。

    竹内の作品は、私たちに原始時代への回帰を促しているとは思わない。しかし、彼は制作を通して、私たちが文明社会の恩恵に浴するが故に見失った、太古の人類の身体感覚と感性を求めているように思う。武術家の光岡英稔氏は共著『退歩のススメ』の中で、今の社会の様相を「狂った事態」と表わしながら次のように言う。

    この狂った事態を普通と感じてしまう感性がある。だからこそ、もし、生命の根源を問うのであれば、これからの時代においては「退歩」を試み、自らの感覚を深く洞察し問うてみるしかない。(藤田一照・光岡英稔『退歩のススメ』, 晶文社, 2017, p. 6.)

    竹内も光岡氏と同じように、今の社会の有様を狂った事態として捉え、太古に対する眼差しを持って彼なりの「退歩」を実践しているのではないだろうか。また、竹内は、直線的な日常の時間とは異なる円環としての時間にも着目し、90年代から継続して循環を想起させる土や葉や植物を使って作品を展開してきた。さらに、より深層の時間、無意識の世界にも足を踏み入れようと、睡眠をテーマに作家自らの寝相を長時間露光で撮影したり、土で寝る人を形作ったりもした。直線的な日常の時間から離れて世界を捉えようとするこれらの作品は、竹内が日本の美大を卒業後に、ドイツを拠点に活動して感じた違和感の表われ、また、言葉による意味付けが絶対的な西洋近代に対する批判だったのだろう。

    しかし最近は、ブルーノ・ラトゥールやロバート・マクファーレンなどの著作を伴って、ヨーロッパに住むアート関係者からも土や地下世界に対する関心が聞こえてくる。シャボン玉に起こる多重反射のように捻れた近代を、何十周と批判して行き着く先は、深層の時間と、生きる意味の追求なのだろうか。コロナで社会基盤が揺るがされ、死がずっと身近に迫ってきた今、生きるとは何であるか。その問いを探るために、土や地下世界と対峙し、観念的に深層の時間に触れるのも一つである。同時に、一人称の「I(私)」が肥大化した中世・近代よりも前の時代にさかのぼり、さらには「私属の耕作者」という由来を持つ漢字の「私」が生まれた農耕時代よりも前に立ち返ってみる。旧石器時代の狩猟採集社会を生きた、太古の私から得られるヒントは多いのではなかろうか。

    藤岡勇人(東京都美術館 学芸員)

  • 私はあなた、あなたは私

    竹内の作品を、単なるアンチモダンの土着礼讃と見なしてはいけない。表現の前提がもはやモダンではなく、その成長路線が限界に達して、地球を母なる大地、畏怖する自然と形容することができなくなっているからである。簡単に言えば、作品の背景となるコンテクストがすっかり変わったのだ。言い換えれば、人間の生きる環境が以前とは同じではないのである。したがって、この作品を鑑賞する我々が抱くべき感情は、太古の狩猟採集生活に立ち戻れというのではない。また、天真爛漫なプリミティヴィズムへの郷愁でもないだろう。ましてや、抜け目のないポストモダン(マーケット)の美的価値アップの奨励ではない。彼の作品を熟思黙想することで、生物圏の致命的な毀損(SDGsでは追い付けない)が進行しつつある人新世のモダンの文明を根底から考え直すことである。

    美術評論家 市原研太郎

状景彫刻

私はあなた、あなたは私

2021

素材

陶・土・鉄・ガラス・木・羽・革・ビデオ・写真など

源の道

2021

状景彫刻

源の道

2021

開催場所
SA・KURA ギャラリー(愛知)
素材

陶・土・鉄・ガラス・革・木

太古の中から

2019

状景彫刻

太古の中から

2019

素材

土・ガラス・木・インク・紙・革・羽根・押し花・ビデオ・鏡 など

洞窟の作戦

2019

物事を捉えることは、他者に視線を突き刺すまなざしであり、それは投てきにも似た行為である。シャープな視線は、覆いものを剥ぎ取り裸のモノを…

  • 物事を捉えることは、他者に視線を突き刺すまなざしであり、それは投てきにも似た行為である。シャープな視線は、覆いものを剥ぎ取り裸のモノを掴み取る。そんなラジカルな見え方を太古の人たちはしていたのかもしれない。土の壁を作り、泥団子に石を詰め、その壁に投げる。壁に残る土塊は彼らの視線の痕跡でもある。

状景彫刻

洞窟の作戦

2019

素材

土・石・剥製・羽根・造花・葉など

サイズ

330X250X240cm

空に舞う

2017

状景彫刻

空に舞う

2017

素材

木・漆喰・和紙・写真・アクリル板・モーター・樹脂・セラミック・剥製・羽根・インク・アクリル絵具・墨汁

サイズ

1270X2200cm

I will fly

2017

状景彫刻

I will fly

2017

素材

アヒル・アヒルの羽根・鉄・絵具・人工芝・木・ドローイング

古代の私はよく見えた

2015

ギャラリーの扉を開けて足を一歩踏み入れた瞬間、私は躊躇してしまった。なぜなら、足元の数十cm先からは本物の土が隙間なく敷き詰められてい…

  • ギャラリーの扉を開けて足を一歩踏み入れた瞬間、私は躊躇してしまった。なぜなら、足元の数十cm先からは本物の土が隙間なく敷き詰められていたからだ。スペースの中央には木が横倒しになり、地面には雑草が生い茂っている。木の根元には斧の刃先が突き刺さり、枝の先が壁を突き破っているさまから、切り倒された時の衝撃のほどが窺えた。枝や地面には矢が何本も突き刺さっており、ここで狩りが行われていたことは明白だった。どうやら私は、古代の森に紛れ込んでしまったらしい。

    どこからか私を目がけて矢が飛んでくるかもしれない。そんなかすかな恐怖を感じながら空間を歩くうちに、入口近くに原人をイメージさせる陶の面が吊られていることに気づいた。これ以上開かないほど大きく目を見開き、彼は何を見ようとしているのだろう。木の根元のガラス製の青い斧の刃先には、“Primitive man, I get it”という文字が刻まれている。

    それを見た時、英語“theory”の語源であるギリシャ語“theoria” が「じっと見る」という意味で、転じて「知」を意味することを思い出した。情報が乏しい時代に生きていたギリシャ人にとって、見ることは物事の本質をつかみ、世界を把握するための知を得る手段だったからだろう。さらに200万年遡る旧石器時代の人々にとって、見ることが重要だったことは想像に難くない。なぜなら、暗い森での狩猟・採集は、敵や獰猛な動物が近くにいないか、木の実や草に毒はないか、よく見て“ I get it”と確認しなければ、命を落とす危険性があるからだ。彼らにとって、「見ること」は「生きること」と同じ意味であったといえよう。

    かたや、現代に生きる私たちはどうだろう。マスメディアやインターネットを通じて手軽に得られる情報によって、自分の目で確かめていないにもかかわらず知っているつもりになったり、膨大な情報に翻弄されて本質が見えなくなる場合が少なくない。

    かく言う筆者も、ギャラリーの方に「所々、雑草が偽物なんですよ」と教えられて、初めてそのことに気がついた。そのいくつかは見つけられたものの、「本当に見えているのか?」とあらためて作家に問われているような気がした。

    評論家 田中由紀子 『REAR』35号(リア制作室、2015年9月29日発行)に掲載

     

  • Primitive man, I get it

  • Bulls eye

  • Primitive man, I am sharper

状景彫刻

古代の私はよく見えた

2015

素材

土、木、石、ツル、植物、造花、ガラス、羽根、テラコッタ、ロウソク

さめたい夢

2014

状景彫刻

さめたい夢

2014

素材

テラコッタ

乾いた罠

2012

状景彫刻

乾いた罠

2012

素材

鉄、テラコッタ

白い日常

2006

私が見ていた物の表面が溶ける。

状景彫刻

白い日常

2006

私が見ていた物の表面が溶ける。

素材

ロウ

サイズ

インスタレーションサイズ

人と雪

2006

状景彫刻

人と雪

2006

開催場所
モースブロイヒ城 レバクーゼン クンストフェルアイン (ドイツ)
素材

ロウ、アクリルガラス

サイズ

インスタレーションサイズ

彫刻

土の知らせ

2022

彫刻

土の知らせ

2022

開催場所
GiEGO(東京)
素材

陶・土・墨汁・ジェッソ

私はあなたを捉え、あなたは私を捉える

2016

彫刻

私はあなたを捉え、あなたは私を捉える

2016

開催場所
ギャラリー301 (韓国)
素材

剥製、羽根、イミテーションダイヤモンド

サイズ

30cmX3mX3.5m

葉になる

2011

落ち葉を粘土で模刻し焼成する。

彫刻

葉になる

2011

落ち葉を粘土で模刻し焼成する。

素材

黒陶

過剰な食卓

2008

ライオンは空腹時にしか狩りをしない。しかし、人間にはローマ時代の嘔吐部屋に代表されるように果てしない欲望がある。

彫刻

過剰な食卓

2008

開催場所
カスヤの森現代美術館

ライオンは空腹時にしか狩りをしない。しかし、人間にはローマ時代の嘔吐部屋に代表されるように果てしない欲望がある。

素材

白磁、机、布、音、写真

サイズ

インスタレーションサイズ

4本足で

2002

私は四足で歩いていた時代もあった。空(カラ)のバケツとの会話。

  • EPSON MFP image

彫刻

4本足で

2002

開催場所
ゲルゼンキルヒェ クンストフェルアイン (ドイツ)

私は四足で歩いていた時代もあった。空(カラ)のバケツとの会話。

素材

土、木、鏡、パフォーマンス

サイズ

インスタレーションサイズ

見るもの、見えているもの

シャボン玉 (食欲望)

2009

見るもの、見えているもの

シャボン玉 (食欲望)

2009

素材

写真

シャボン玉 (遍在するモード)

2009

見るもの、見えているもの

シャボン玉 (遍在するモード)

2009

素材

写真

シャボン玉 (移りゆく風景)

2009

見るもの、見えているもの

シャボン玉 (移りゆく風景)

2009

素材

写真

シャボン玉Ⅲ

2008

私たちの視界に入るものはすべて表面であり、実体がない。

七色の玉

シャボン玉は外と内のギリギリの緊張感の中で成立する彫刻であり、周りを取り込み…

  • 七色の玉

    シャボン玉は外と内のギリギリの緊張感の中で成立する彫刻であり、周りを取り込み映し出す小コスモスでもある。それは、体内から吐き出された空気によって誕生し、揺らぐ虚像を瞬時として描き出しながら、自らの色彩を変貌させ、やがてその姿を消してゆく。

    視界に飛び込む全てのモノは光を浴びキラキラと輝きながら網膜に映し出されるが、それら物質的現象は意味の膜で構成された表面でしかなく、そのモノの実体は掴みえない。

    はたして私はこの世の中で何を見ているのか?そんな問いから作品は生れる。

    竹内孝和

  • OLYMPUS DIGITAL CAMERA

見るもの、見えているもの

シャボン玉Ⅲ

2008

開催場所
クンストフェルアイン ボーフム (ドイツ)

私たちの視界に入るものはすべて表面であり、実体がない。

素材

写真(90cmX90cm)、ガラス

シャボン玉Ⅱ

2007

見るもの、見えているもの

シャボン玉Ⅱ

2007

開催場所
ソウル市美術館
素材

写真 (90cmX90cm)

シャボン玉Ⅰ

2006

見るもの、見えているもの

シャボン玉Ⅰ

2006

開催場所
モースブロイヒ城 クンストフェルアイン レバークゼン (ドイツ)
素材

写真

あなた自身が見えますか?

2000

もし、目のレンズがひずんでいて、また個々が違ったひずみ方をしていたならば世界はどんなふうに映るのだろうか?

私の見ているものは何?

見るもの、見えているもの

あなた自身が見えますか?

2000

もし、目のレンズがひずんでいて、また個々が違ったひずみ方をしていたならば世界はどんなふうに映るのだろうか?

私の見ているものは何?

素材

鏡、樹脂、ペイント

サイズ

3.5mX5mX2.5m

眠りの中で

空洞の眠り

2004

私たちは人によって作られたものに縛られて生きている。眠りはそこから解放される時間である。

睡眠中に鼻、口、目から自身が吐き出され空(カラ)になる。

  • EPSON MFP image

  • OLYMPUS DIGITAL CAMERA

眠りの中で

空洞の眠り

2004

開催場所
ケルン市アートテイク美術館

私たちは人によって作られたものに縛られて生きている。眠りはそこから解放される時間である。

睡眠中に鼻、口、目から自身が吐き出され空(カラ)になる。

素材

白磁・カーペット

サイズ

6mX4.5mX0.38m

晩期-2003夏

2003

私は睡眠中に自分の過去に戻る。そこには言葉もなく意味もなかった。

  • OLYMPUS DIGITAL CAMERA

眠りの中で

晩期-2003夏

2003

開催場所
ボーフム美術館 (ドイツ)

私は睡眠中に自分の過去に戻る。そこには言葉もなく意味もなかった。

素材

写真30枚

空洞の夢

2001

眠りの中で

空洞の夢

2001

開催場所
クンストラウム デュッセルドルフ (ドイツ)
素材

段ボール、ビニールテープ、写真、鏡、樹脂

サイズ

4.3mX2mX2.8m

眠りの中で何を見ますか?

2000

肉体から解放され、航海の旅に出る。

眠りの中で

眠りの中で何を見ますか?

2000

肉体から解放され、航海の旅に出る。

素材

水、ビニール、木、ペイント

無題(枕と居眠り)

2000

頭を置く台座として透明の枕。

壁に寄りかかり居眠りする人。

眠りの中で

無題(枕と居眠り)

2000

頭を置く台座として透明の枕。

壁に寄りかかり居眠りする人。

素材

樹脂、土

サイズ

インスタレーションサイズ

40億年の記憶

2000

無意識の痕跡。
枕に付いたよだれのシミ。

眠りの中で

40億年の記憶

2000

開催場所
ギャラリー ヤヌアー(ドイツ)

無意識の痕跡。
枕に付いたよだれのシミ。

素材

ライトボックス

地と空

1999

眠りの中で

地と空

1999

素材

土、金属、写真、ガラス、椅子

サイズ

インスタレーションサイズ

無題(芝生の上で)

1999

眠りの中で

無題(芝生の上で)

1999

開催場所
ベギニンホフ美術館 (ベルギー)
素材

土、芝生、枕

サイズ

3mX4.5m

眠りの木

1997

葉にt-r-e-eとくり抜き、小さいものから順番に並べ替えた。

会話をしたり思考したりする言葉を誰が名付けたか?私は知らない。

眠りの中で

眠りの木

1997

葉にt-r-e-eとくり抜き、小さいものから順番に並べ替えた。

会話をしたり思考したりする言葉を誰が名付けたか?私は知らない。

素材

木、ベッド、葉

サイズ

3mX3mX6.5m

誕生、記憶

1997

私は母体の中で単細胞から哺乳類へと進化をとげた。その中で、どんなものを見てきたのだろうか?

土の形にBIRTH,そしてもう一方にMEMORYと刻んだ。しかし、周りにも他のアルファベットが沢山刻まれていることによって、その単語を認識することができない。

私は生まれる前に言葉を持っていなかった。

眠りの中で

誕生、記憶

1997

私は母体の中で単細胞から哺乳類へと進化をとげた。その中で、どんなものを見てきたのだろうか?

土の形にBIRTH,そしてもう一方にMEMORYと刻んだ。しかし、周りにも他のアルファベットが沢山刻まれていることによって、その単語を認識することができない。

私は生まれる前に言葉を持っていなかった。

素材

土、マットレス

サイズ

68×75×74cm 
90×180×73cm 

眠る土

1996

眠りの中で

眠る土

1996

開催場所
ギャラリーヤヌアー (ドイツ)
素材

土、枕、マット

サイズ

インスタレーションサイズ

自然と共に

方丈の夢 Ⅱ

2009

自然と共に

方丈の夢 Ⅱ

2009

開催場所
第1回所沢ビエンナーレ / 引込線 (埼玉)
素材

土、石、木、植物、写真

サイズ

5mX3mX3m

方丈の夢Ⅰ

2004

方丈記     鴨長明(1155~1216年)

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは…

  • 方丈記     鴨長明(1155~1216年)

    行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。

     

自然と共に

方丈の夢Ⅰ

2004

開催場所
名古屋市民ギャラリー矢田
素材

土、植物、木

サイズ

5mX3mX3m

無題(逆さ頭)

2002

軸の逆転

  • EPSON MFP image

自然と共に

無題(逆さ頭)

2002

軸の逆転

素材

土、植物

サイズ

20cmX20cmX48cm

1本の木のための舞台

2000

自然と共に

1本の木のための舞台

2000

開催場所
ヒュールホルスト(ドイツ)
素材

木、木材、石

サイズ

5mX3mX4.5m

1本の木から家へ

1997

自然と共に

1本の木から家へ

1997

開催場所
バウハウスフィッシャー(ブッパタール・ドイツ)
素材

土、木、家

サイズ

12mX15m

無題(山と人)

1997

  • EPSON MFP image

  • EPSON MFP image

自然と共に

無題(山と人)

1997

開催場所
クンストパラスト美術館 (ドイツ)
素材

土、植物、木

サイズ

6mX4mX3m

海と空

1996

自然と共に

海と空

1996

素材

土、桶、鉛

サイズ

インスタレーションサイズ

森の民

1995

自然と共に

森の民

1995

7つのドア

1994

自然と共に

7つのドア

1994

開催場所
トスカーナ(イタリア)
素材

鶏舎、土、オリーブの木

切り株のための家

1993

自然と共に

切り株のための家

1993

開催場所
クローネンブルグ (ドイツ)
素材

切り株、枝、紐